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広島高等裁判所 昭和48年(行コ)3号 判決 1977年10月07日

控訴人

山口県教育委員会

右代表者

青木健治

右訴訟代理人

堀家嘉郎

外五名

被控訴人

多治比丈夫

外四名

右五名訴訟代理人

尾山宏

外一名

主文

原判決中被控訴人国光日出生及び同原田昭夫に関する部分を取り消す。

右被控訴人両名の請求を棄却する。

控訴人のその余の被控訴人らに対する控訴を棄却する。

控訴費用は、第一、二審を通じ、控訴人と被控訴人国光日出生及び同原田昭夫との間においては右被控訴人両名の負担とし、控訴人とその余の被控訴人らとの間においては全部控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一被控訴人らが請求原因として主張する各懲戒処分がされたこと、各被控訴人の当時の教職員としての地位については、当事者間に争いがない。

第二本件処分事由の存否について

一控訴人主張の本件学力調査の実施状況及び同調査に対する被控訴人らの態度については、当事者間に争いがない。

二被控訴人五十川を除くその余の被控訴人らに対する処分事由の存否について

(一)  控訴人が主張する右被控訴人らの本件学力調査当時における組合役員としての地位を、右被控訴人らは明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきである。

(二)  生徒に対する本件学力調査受験拒否の扇動について

(1) これについては、原判決の理由第二の二の1をここに引用する。

(2) そして、<証拠>のうち、被控訴人国光が本件学力調査後の六月二七日の分会の代議員会において、「今回の学テ闘争は大成功であつた。」と発言したとの供述部分は、<証拠>に照らしてにわかに措信し難く、<証拠判断省略>

(三)  服務上の義務違反について

(1) <証拠>総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 山本校長は、昭和三九年三月一六日ころ市教委から本件学力調査の実施に関する文書通達を受け、その後もこれを学校行事計画に組み入れるように指示を受けていたので、同年四月三〇日、校内委員会において本件学力調査の行事計画への組入れについて協議したが、了解が得られなかつた。そこで、山本校長は、同年五月七日の職員会議において、再度本件学力調査の行事計画組入れを提案し、一応、同年六月二三、二四日の本件学力調査予定日には他の行事を一切入れないが、行事予定表には当該予定日の欄外に本件学力調査の実施を記入するにとどめることで承認された。

(ロ) 山本校長は、同年六月一五日付で市教委から本件学力調査を実施すべき旨の職務命令(通達)を受けたので、同月一六日の職員会議において同校教職員に対しその円滑実施について協力を要請した。ところで、被控訴人多治比、同久保を含む厚南中学校教諭八名は、同年二月のいわゆる定員闘争に参加したことについて同年五月六日市教委から無断職場離脱を理由に訓告処分を受けたところから、右訓告処分の不当を主張してその撤回を求めていた。そこで、被控訴人原田は、右山本校長の要請に対し、右訓告処分の撤回があるまで本件学力調査の実施に関する話合いに応じられない旨発言した。これに対し山本校長は、訓告処分撤回の問題と本件学力調査実施の問題とは別個に考えて貰いたい旨述べたが、結局、両者の意見が一致しないまま、同日の職員会議を打ち切つた。

(ハ) 山本校長は、同年六月一九日にも本件学力調査の実施に関して検討するため職員会議を開き、山本教頭が実施日程等について説明した。ところが、その説明終了後再び前記訓告処分撤回の問題が提起され、それが解決しないうちは学力調査実施の話合いには応じられない旨の発言が多くの教職員からなされ、結局、この日も学力調査に関する話合いは進展しなかつた。

(ニ) そこで、山本校長は、県教組も本件学力調査実施の職務命令が出た場合にはこれに従う方針をとつていたので、職務命令を出せば教職員らもこれに従わざるを得ないから事態が落着くであろうとの判断のもとに、同月二〇日の職員朝礼において、前日作成しておいた本件学力調査のテスト担当者を命ずる旨の職務命令書を各該当教師に配付し、その場にいなかつた被控訴人原田ほか数名の教師にはこれを郵送した。

これに対し、教職員の多くは、前年度の学力調査の場合にはその実施直前に職務命令が出されたのに、山本校長がこの段階で職務命令書を配付したことを意外に感じた。ことに、被控訴人久保は、同校長に対し、「職員の気持ちを踏みにじつても良いのか。今まで校長が言つたすべてのことは偽善であつたのか。今後学校運営に支障が起こつても良いのか。ぼくの責任で職務命令を全部返上する。」と怒鳴つて、右職務命令書の配付に強く抗議した。そして、被控訴人久保は、組合員に対し、山本校長が職務命令書を配付したことについて検討するための職場会を開くので、生徒に自習を命じて礼法室に集合するよう呼びかけた(この事実は当事者間に争いがない。)。これに対し、校長や教頭は、学校運営の円滑を期するため止むを得ないものと考えて、右職場会の開催を制止しなかつた。右職場会は約三〇分間継続し(この事実は当事者間に争いがない。)、そこでは、山本校長に対し右職務命令を一応撤回したうえで本件学力調査について討議するように要求することが申し合わされた。

そこで、遅れて出勤した被控訴人原田及び同久保を含む分会代表約七名は、右職場会の申合わせに基づき、午前一〇時ころから校長室において山本校長に対し、前記職務命令を撤回し学力調査について討議するよう要求した。これに対し、山本校長は、既に同月一六日及び一九日の両日に討議をする機会があつたのに訓告問題を持ち出して分会員らが討議を拒否してきたのであるし、本件学力調査の実施当日まで日数もないので職務命令は撤回しない旨答えて右要求を拒絶した。しかし右分会代表らは、その後も他の組合員が職員室で待つているから説明してほしいと要求し、又、一時は他の一〇数名の組合員とも一緒になつて山本校長に対し前記職務命令の撤回を要求し続けた。この交渉には同校の大多数の教職員が参加し、自然に職員会議のような形となつた。そのため、山本校長は、もう一度教頭と相談して返事をする旨述べ、午後〇時二〇分ころ右交渉を打ち切つた。そのため、同校の大多数の生徒は、同日(土曜日)自習を命じられ、正常に授業を受けることができなかつた。

(ホ) 被控訴人原田は、同月二二日の職員朝礼において、山本校長に対し、職務命令書が同被控訴人にだけ郵送されたものと思つてその理由を詰問し、同校長からその説明を受けた後、同月二〇日の前記交渉事項について教頭との相談結果についての回答を求めた。これに対し、山本校長は、これ以上話合いをしても仕方のないことと思つたのでそのままにした旨答えた。更に、同被控訴人は、「ちやんと連絡をとつてもらわないと困る。当日混乱が起こつても知りませんよ。」と抗議した。

右職員朝礼終了後続いて生徒朝会が開かれ、同朝会において、山本校長は、全校生徒に対し、同月二三日及び二四日に本件学力調査を実施する旨伝達した。ところが、その時三年生の列の後方にいた被控訴人原田は、「職員会議でまだ決まつていないぞ。」と大声で叫んだ。そのため、三年生の半数位が驚いてその方を振り返つた。

右生徒朝会終了後直ちに、同被控訴人は職場会を招集し、授業のある組合員はそれぞれ生徒に自習を命じてこれに参加した。この職場会は約二〇分間続けられ(この事実は当事者間に争いがない。)、その場において山本校長に対し、職員会議の了解を経ないうちに本件学力調査の実施を生徒に伝えたことをただし、かつ、あくまでも前記職務命令を撤回したうえで学力調査に対する論議を進めるために、職員会議の開催を求めることが決められた。

そこで、被控訴人原田は、山本校長に対し職員会議の開催を申し入れ、山本校長もやむを得ずこれに同意して直ちに職員会議を招集開催した。この職員会議は、第二時限の休み時間ころから昼休みをはさんで午後三時ころまで続けられ、当日生徒はほとんど自習を強いられる結果となつた。そして、右職員会議の冒頭、被控訴人原田は、山本校長に対し、職員会議の決定をまたずに生徒朝会で本件学力調査の実施を伝えたことについて詰問した。これに続いて午前中は、被控訴人原田、同多治比、同国光や金光、岸名、山村その他の教職員がこもごも激しい口調で前記職務命令の撤回を要求し、現況ではその撤回をすることはできないとする校長との間で押問答が続けられた。そして、その声は廊下まで響き、自習を命じられたはずの生徒が廊下で騒ぎ、昼休みには生徒によつて作成されたと思われる「多治比ガンバレー」と記載されたビラが校長室にけり込まれ、「学力テスト反対」と記載されたビラが廊下にまかれていた。

午後から再開された職員会議では、昼休み期間中に一部の生徒から生徒会顧問である金光教諭を通じて学力調査に関する討議をするため生徒総会の開催を認めて貰いたい、もしそれが認められない場合には学力調査に賛成の教師と反対の教師とによつてそれぞれの理由を放送で説明してほしい旨の申入れがなされたので、その許否について協議を重ねた。被控訴人多治比ら数名の教師が生徒の右申入れを許容すべきであるとの意見を述べたが、多数の教師はこれに反対し、結局、右申入れは職員会議で拒否することに決定した。その後一教師から話合を打ち切り授業を行うべきであるとの意見が出されたが、被控訴人原田、同多治比から反対の発言があつて同提案は承認されず、生徒はますます騒ぎ教師がかわるがわる教室で自習するよう注意しても効果はなく、混乱のうちに結論の出ないまま職員会議は閉会となつた。当日の同校におけるこのように状況は、同月二〇日の状況と相まつて同校生徒に本件学力調査受験に対する不安、動揺、更に焦燥感を与え、翌日及び翌々日の生徒の受験拒否行動に大きな原因を与える結果となつた。

(ヘ) 本件学力調査第一日目(六月二三日の朝)、被控訴人国光は、本件学力調査実施当日における組合員の意思統一をはかるため職場会を開くという分会執行部の決定に基づいて、登校してくる組合員を礼法室に誘導した。右職場会は、午前八時四〇分ころ終了し、職員朝礼の時間に約五分間食い込んだ(この事実は当事者間に争いがない。)。そして、右職場会では、被控訴人原田から、職務命令が出ている以上これに従わざるを得ないが更にその撤回を求めてすれすれの線までがんばる旨の提案がなされ、次いで、前年度の学力調査にも白紙答案や無記名答案が出た経験から本年度もそのような不正常答案の出ることが予想され、かつ、前記職務命令書に添付された実施説明書には氏名記入等の指導項目が加えられていたうえ、県教組の指令にもあつたので、教師が職務命令どおり指導してもなおかつ不正常答案が出た場合の無答責確認を山本校長からあらかじめ取付けておくことが申し合わされた。

そこで、被控訴人多治比は、職員朝礼の席上山本校長に対し、右職場会の申し合わせに基づいて、生徒が白紙答案や無記名答案を提出した場合の教師の責任について質問し、かつ、生徒が指導を受けても応じない場合には教師に責任が無い旨の確認書を作成するように要求した。これに対し、山本校長は、教師が責任を負わない場合のあることを認め、又、確認書の作成については、当初消極的であつたが組合側の要求が強く時間も経過するのでこれを承諾した。又、被控訴人原田は、「こんなものが受け取れるか。」と言いながら職務命令書を山本校長に投げつけたが、同僚から注意されて机の下に入つてこれを拾い上げた。その後、被控訴人多治比が本件学力調査開始時刻(午前九時)の到来したことを指摘して職務命令の効力が発効しているがどうか質問したところ、山本校長が少しの時間的ずれはあつても良い旨答え、引き続き本件学力調査終了後の授業をどのようにするかについて協議し、同校長は学力調査の開始時刻を午前九時二〇分とする旨指示した。

右職員朝礼を終えて、各担当教師は問題用紙を持つて教室へ赴いた。ところで、被控訴人多治比は、当時、第三学年のアルバム編集責任者となつていたので、本件学力調査の受験風景についても撮影の機会があるものと考えて、学力調査実施のため担任の教室へ赴く際カメラも持参した。そして、担任の教室に入つたところ、女子生徒は全員いたが、男子生徒が四、五名しかいないことに気付き、生徒らにその理由を問いただしたところ、運動場に出たということだつたので、当該生徒を呼びもどすため問題用紙等を抱えたまま運動場へ向つた。その途中、他の組の男子生徒五、六名が市教委の柳三郎主事から教室に入つて受験するよう注意されているのを見て、当該生徒に対して教室にもどるよう注意し教室に入らせた。それから、同被控訴人は、運動場に出て、その隅にいた担任の生徒らに対して教室に入るよう呼びかけたところ、生徒が移動し始めたので安心して校舎の方へ引き返しかけたところ、生徒は運動場の中程まで来て立ち止つてしまつた。そのとき、三年の学年長である吉松教諭が説得のため右生徒のところへ行つたが、被控訴人多治比は、まだ問題用紙を持つたままであつたので山本校長のもとへ行き、学力調査の開始時刻を一〇分遅らせることの許可を受け、その際、同校長から、問題用紙を配付したら他の教師に担当を交替して直ちに受験拒否生徒の説得に当るよう指示された。そこで、同被控訴人は、直ちに担任の教室へもどり、生徒に問題用紙を配付して職務命令書を読み上げ主要注意事項を説明し、その担当を坂本教諭と交替して再び運動場に出た。

又、被控訴人原田は、問題用紙を持つて担任の教室へ行つたところ、四、五名の生徒が運動場に出たということでいなかつた。そこで、教室にいる生徒に問題用紙を配付し、職務命令書に添付されている実施説明書を読み上げた後これを黒板に掲示して、職務命令書は机の上に置いて、運動場に出たという生徒を教室に呼びもどすために運動場へ向つた。同被控訴人が運動場に出たとき、山本教頭が受験拒否生徒の説得に当つているところであつたが、その説得に苦しんでいる様子であつたので、同被控訴人は、同教頭に対し自分が説得してみると申し出た。同教頭は、同被控訴人ならうまく説得してくれるものと思つて同被控訴人とその場の説得を交替して校長室に入つた。そこで、同被控訴人は、生徒らに対して教室に入つて学力調査を受験するよう説得したが、生徒は非常に興奮していてこれに応じなかつたので、校長室へ行つてその旨山本校長に報告した。そのとき、山本校長は、同被控訴人に対し、学力調査の担当は他の教師にしてもらうので引き続き受験拒否生徒の説得に当るように命じた。

他方、被控訴人国光は、学力調査実施のため担任の教室へ赴き、生徒に対し、問題用紙を配付するとともに職務命令が出たので本件学力調査を実施せざるを得ない旨話し、かつ、主要注意事項を説明したうえ、職務命令書に添付されている実施説明書を当該職務命令書の上に重ねて黒板に掲示した。

このようにして、被控訴人多治比及び同原田は、第一時限の途中から山本校長の命令を受けて、運動場に出て受験を拒否している二〇数名の生徒の説得に当つたが、途中から山本校長も自ら右生徒の説得に乗り出した。ところが、第一時限の終りごろに多数の報道関係者が生徒の学力調査受験拒否を取材するために来校したので、生徒は、既に相当興奮していたが、更に一層刺激された。このとき、被控訴人多治比は、生徒を報道陣の直接の取材対象にさせないようにしなければならないと考えて、男子生徒に対しては、「帽子を深くかぶれ。」と、又、女子生徒に対しては、「下を向け、名札を付けているものはこれをはずせ。」と指示した。

そのころ、第一時限が終了し、二〇分間の休み時間となつたが、その間に運動場に出て受験拒否に加わる生徒が増加し、折から直射日光を受けて暑いうえ、報道関係者の取材も続けられていたので、被控訴人原田の提案によつて受験拒否生徒全員を体育館に入れ、そこで山本校長が中心となつて更に説得を続け、被控訴人多治比、同原田も説得に当つたが、結局、生徒はその説得に応じなかつた。そして、当日の学力調査が第二時限、第三時限と進むに従つて受験拒否生徒は増え続け、最終的には約一五〇名(いずれも第三学年の生徒)に達した。

当日の学力調査終了後、同校教職員全員は、翌二四日の学力調査受験態勢について話し合い、結局、校長が調査開始前に第三学年の生徒全員に対し校内放送を通じて受験拒否をしないよう説得する、その後担任教師が各教室で校長の発言の要旨に沿つて説得して調査を開始する、ということを決定した。又、同校の組合の代表は、混乱を避けるという趣旨で翌日の学力調査を中止するよう市教委と交渉したが、その要請は市教委によつて拒否された。

(ト) 本件学力調査第二日目(六月二四日)の朝。被控訴人国光は、前日と同様に登校してくる組合員を礼法室に誘導し、同室において職場会が開催されたが、右職場会は前日同様職員朝礼の時間に約五分間食い込んだ(この事実は当事者間に争いがない。)。そして、右職場会では、前日の市教委との学力調査中止要請交渉の経過とPTA役員らによる受験拒否生徒の説得がかえつて当該生徒を刺激して担任教師による説得を困難にしていることが報告された。

右職場会終了後の職員朝礼において、山本教頭から、前日の市教委との交渉もあつたが、結局学力調査を中止するに至らなかつたので、本日の学力調査を実施する旨が述べられた。次いで、被控訴人多治比は、前日来市教委三原主事やPTA役員が受験拒否生徒の家庭を訪問して受験を説得した事実があり、それが生徒の説得には担任教師が当るという前日の市教委との取決めの趣旨に反して不本意である旨発言した。そして、他の二、三の教師から同旨の意見が述べられ、山本教頭に対して右部外者説得の経過報告が求められたので、同教頭がその経過を説明した。更に、被控訴人多治比は、当日市教委から連絡員として来校している三原主事をこの場に呼んでその事情を聞くことを提案し、それはできないとする山本校長との間で押問答が重ねられた。そのころから生徒が運動場に出初めたので全員議論を打ち切り、被控訴人多治比、同原田は、運動場に出た生徒を校長の放送がある旨告げて各教室に入らせた。そして、山本校長は、前日の職員間の協議結果に基づいてあらかじめ用意した生徒に学力調査の正常受験を呼びかける放送の原稿を教職員の面前で読み上げて了解を得たうえ、これに基づいて約一五分間にわたり校長放送を行つた。

右職員朝札終了後、各学級担任はそれぞれの教室へ赴き、生徒とともに校長の放送を聞き、更に、本日の学力調査を平穏に受験するように説得を加えた。ところが、被控訴人多治比の学級では校長放送の途中から多数の生徒がすすり泣きを始め、それでも納得のいかない者は体育館に集まるがよい旨結んだ校長放送が終了すると、ほとんど全員が立ち上り涙を流しながら教室を出て行つた。同被控訴人は、このような状態ではどうすることもできないと考えて自分も体育館に行き、山本校長から前日同様受験拒否生徒の説得に当るように命ぜられた。

このような経過で、第一時限の学力調査は結局午前一〇時二〇分から、又、第二時限は午前一一時三〇分から開始されるに至つたが、受験拒否生徒は次第に数を増し約一八〇名に達し、山本校長が他の教師とともに説得に当つたが効果は見られなかつた。

以上のとおり認められ、<証拠判断省略>

(2) 昭和三九年六月一九日の違反行為について

被控訴人原田が同月一六日の職員会議において、「訓告処分が撤回されない限り本件学力調査に協力することができない。」旨の発言をし、同月一九日の職員会議においても、具体的な出席者、発言者の氏名は不明であるが、多数の教職員によつて右の主張が固執せられたことは、前認定のとおりである。しかしながら、山本校長は右各日時には教職員に対し本件学力調査の実施についての協力を要請したのみであつて職務命令を出したものとは解されないし、又、右職員会議は授業終了後のものであるから、右被控訴人の主張は校長に極めて難きを強いるものではあるが、同被控訴人に地方公務員法三五条、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下地方教育行政法という。)四条二項に違反する行為があるということはできない。

(3) 同月二〇日の違反行為について

(イ) 被控訴人久保が、同日山本校長が本件学力調査実施の職務命令書を教職員らに配付したところ、「ぼくの責任で職務命令を返上する。」旨怒鳴りながら同校長に抗議したことは、前認定のとおりである。同被控訴人のこのような行為は、右職務命令が同被控訴人に対するものでなかつたとしても、地方公務員法三〇条に違反し、同法二九条一項三号に該当するものである。

(ロ)  被控訴人久保が、同日職員朝礼終了後組合員に対して職場会の開催を呼びかけ、右職場会が授業時間中約三〇分間にわたつて持たれ本件学力調査実施の問題について話合いがなされたこと並びに被控訴人久保及び同原田が、右職場会終了後他の分会員らとともに山本校長に対して職務命令の撤回と学力調査についての話合いを要求し、その交渉が一二時二〇分ころまで続けられたことは前認定のとおりである。

ところで、学力調査に関する問題が教育に関する重要な問題であることは否定できないから、教職員がこれについて討議し、又は、その実施方法について校長と話合いや交渉を行うことは、もとより当然の事柄である。しかしながら、そうであるからといつて、その話合いや交渉のために本来の授業をなすべき職務が当然に免除されることにはならず、その義務が免除されるためには、更に校長の承認が必要であるものといわなければならない。この点について、山本校長が右職場会の開催を制止せず、又、右被控訴人らによる交渉を拒否しなかつたことは、前記のとおりである。しかしながら、前認定の当日の経過に照らすと、右事実をもつて同校長が右職場会の開催を承認し更に教職員らに授業を行う義務を免除したものと見ることはできない。それ故、被控訴人久保及び同原田が当日授業その他正規の職務を行わなかつた点は、いずれも地方公務員法三五条の職務専念義務に違反するものである。更に、被控訴人久保が職場会の開催を主導的立場に立つて行つた行為は、「地方公共団体の機関の活動能率を低下させる行為」を「そそのかし、あおつた」もので、同法三七条一項に違反するものである。前掲各証拠によると、当日生徒は大部分教室において自習を命じられていたことが認められるが、自習と正規の授業とではその学習効果に多大の差異があることは自明の理であるから、右被控訴人らは生徒が自習を行つたことをもつてその責任を免れることはできない。そして、山本校長にも責任があるとしても、右被控訴人両名が多数の他の教師まで交渉に引き込み、その結果多数の生徒に自習を余儀なくさせた責任は、重大であるといわなくてはならない。

右被控訴人両名は、前叙の職務命令は教育の問題に関係すると同時に教職員の勤務条件にも関係するから、これについて職員団体として校長と協議しあるいは交渉し得ることは当然である旨主張する。しかしながら、仮に右職務命令の撤回を求めることが職員団体と校長との交渉事項に該当するとしても、右被控訴人両名に当時校長と交渉を行う資格があつたとは認められず、かつ、勤務時間中の交渉が当然には許容されないことは多言を要しないところであるから、右の事実は右被控訴人両名の責任の有無に消長を来さない。

なお、控訴人は、同日職場会において被控訴人久保及び同国光が主導的立場に立ち山本校長に対して右職務命令の撤回を要求すべき決議がされるに至つたと主張するところ、これを肯認するに足る証拠はない。

(4) 同月二二日の違反行為について

(イ) 控訴人は、被控訴人原田が同日の職員朝礼の冒頭山本校長に対し職務命令書を郵送したことをなじるとともに、「当日混乱が起こつても知らないぞ。そういうことで学力テストをやれるものならやつてみい。今後学校運営が麻ひするぞ。」の暴言を吐いて、前記職務命令の撤回を迫つた旨主張する。しかしながら、右職員朝礼の状況が前認定のとおりであり、<証拠判断省略>他に右主張を認めるに足る証拠はない。

又、控訴人は、同日の職員朝礼において被控訴人四名が率先して山本校長に前記職務命令の撤回を迫つた旨主張するが、この点を適確に認めるに足る証拠はない。かえつて、<証拠>によると、同被控訴人は同日は組合業務に従事し学校へは出勤していないことが認められる。

(ロ)  被控訴人原田が、同日山本校長が生徒朝会において生徒に対して本件学力調査の実施について伝達したとき、生徒の後方から「職員会議でまだ決まつていないぞ。」と大声で叫んだことは、前認定のとおりである。

被控訴人原田としては、既に山本校長から本件学力調査実施の職務命令を受けその期日も翌日に迫つていたから、同校長に協力して本件学力調査を可能な限り円滑に実施すべき職務上の義務を負うにもかかわらず、同被控訴人が生徒朝会という訓育の場において前記のような行動に出たことは、上司の命令に忠実に従つたものでなく、かつ、教師としての教育的配慮に欠けるものであつて、その行為は、地方教育行政法四三条二項、地方公務員法三五条に違反するものである。そして、同被控訴人の右発言が生徒の本件学力調査受験に対する心理的混乱を与え、その受験拒否に影響を及ぼしたことは否定できないから、同被控訴人のこの点の責任は重いものと言わなくてはならない。

(ハ) 被控訴人原田が、右生徒朝会終了後直ちに職場会を招集し、授業のある組合員はそれぞれ生徒に自習を命じてこれに参加し、右職場会は約二〇分間継続したことは前記のとおりである。

右被控訴人は、右職場会の開催について山本校長の承認があつた旨主張するが、<証拠判断省略>他に右主張を認めるに足る証拠はない。それ故、右職場会の開催は、職務専念義務に違反するものであると同時に、右職場会を招集した行為は、怠業行為の「そそのかし、あおり」に該当するものというべきである。

(ニ)  その後行われた職員会議の席上、被控訴人原田、同多治比、同国光が、主導的立場に立つて他の組合員とともに山本校長に対し、激しく前記職務命令の撤回を要求し続けたことは、前認定のとおりである。

右被控訴人三名の行為は、当日の授業その他正規の職務を放てきして他事に従事したものであるから、職務専念義務に違反するものである。そして、これによつて生徒の本件学力調査受験拒否の一原因を与えた同被控訴人らの責任は重大であるといわなければならない。右職員会議の開催について山本校長が同意したことは前認定のとおりであるが、同校長は学校運営の円滑を図るためやむなく同被控訴人らの要求に応じて右職員会議の開催に同意したものであるから、これによつて同被控訴人らの職務専念義務違反が成立しないということはできない。又、生徒に本件学力調査受験拒否の原因を与えた点については、授業時間中の職員会議の開催につき同意したのみならず長時間にわたつて会議を継続した山本校長や、右被控訴人らと同調した他の教職員らにも責任があることはもち論であるが、これらの事実によつて右被控訴人らの責任が全面的に免除されるものではないというべきである。

(5) 同月二三日の違反行為について

(イ) 被控訴人国光が当日朝登校してくる組合員を職場会開催のために礼法室へ誘導したこと及び右職場会が職員朝礼の時間に約五分間食込んだことは、前認定のとおりである。

しかしながら、同被控訴人の右誘導行為は勤務時間外にされたものであり、かつ、同被控訴人が右職場会が勤務時間に食い込むことをあらかじめ企図又は認識していたことを認めるに足る資料はない。又、同被控訴人はその時点では連絡係的立場にあつたもので右職場会の開催を主導したものではないと認められる。それ故、同被控訴人の右行為を違法となすことはできない。

(ロ)  又、同日の職場会の状況及び職員朝礼の経過は前認定のとおりである。被控訴人五十川を除く被控訴人四名が共同の意思のもとに、本件学力調査実施にあくまで抵抗を示す目的で生徒が白紙答案や無記名答案を提出した場合の教師の無答責確認問題を持ち出し、右職員朝礼を延引させて学力調査開始時刻を二〇分間遅らせたことは、とりもなおさず職務専念義務に違背するものである。たとえ、山本校長が学力調査開始時刻を二〇分間遅らせ九時二〇分からとすると宣言したとしても、それは、同校長が右被控訴人らの行為に困惑し何とか右被控訴人らの協力を求めようとしてやむを得ず行つたものと認められるから、右被控訴人らの責任を軽減するものではない。又、被控訴人原田が同職員朝礼において職務命令書を山本校長に対し、「こんなものが受け取れるか。」と言いながら投げつけた行為は、もとより上司である同校長の職務上の命令に忠実に従わなかつたものであり、そのこと自体右職務命令に違反するものである。そして、これらの右被控訴人らの行為によつて学力調査開始時刻が定刻より遅れ、そのため生徒の受験拒否行為にきつかけを与え、かつ、これを容易にしたことはもとより推認するに難くないから、右被控訴人らの責任は決して軽しとなし得ない。しかしながら、右被控訴人らが、控訴人主張のように、生徒の拒否行動を予期していたものとまで認めることはできない。

(ハ) 控訴人は、被控訴人原田が三年六組のテスト担当を命ぜられていたにもかかわらず、第一時限に無断でその職務を放棄して運動場に出た旨主張する。しかしながら、被控訴人原田が第一時限に運動場に出た経過は前認定のとおりであつて、テスト担当を命ぜられた同被控訴人が運動場に出た生徒を呼びもどしに行くことも、むしろ当該職務命令の範囲に含まれると解され、しかも、一応生徒に説得を試みたが、生徒がこれに応じなかつたので、山本校長からテスト担当を他の教師と交替して引き続き受験拒否生徒の説得に当るべき旨の命令を受け、更に説得に当つたのであるから、同被控訴人が無断でテスト担当者の職務を放棄したものということはできない。

(ニ)  控訴人は、被控訴人多治比が、第一時限に、担任の三年七組の残留している生徒の面前で職務命令書を読み上げたうえ、「男子はいないのか。女子はテストを受けるのか。先生は応援に行こうか。」と発言した旨主張する。同被控訴人が職務命令書を読み上げたことは前認定のとおりであり、この行為は、同被控訴人が本件学力調査の担当を命令により不本意ながら行うものである旨を表明したものと認められるから、同被控訴人のこのようなやり方は当該職務命令の趣旨に反するものである。しかしながら、その他の控訴人の右主張事実を認めるに足る証拠はない。

又、控訴人は、被控訴人原田は職務命令書を机の上に置き、被控訴人国光は生徒に対し、「職務命令によりやむなく学力調査を行う。」旨を告げ、教室の黒板に職務命令書を張り付けたと主張する。

被控訴人原田が机の上に職務命令書を置いていた行為は、同被控訴人がこれを生徒に見せる趣旨で置いたものとも認められないから、必ずしも違法とは言い難い。被控訴人国光が、前認定のとおり「職務命令によりやむなく学力調査を行わざるを得ない。」旨を述べたうえ、職務命令書に添付されていた実施説明書を上にし職務命令書を下にして重ねて黒板に張り付けた行為は、前記被控訴人多治比の読上げ行為の場合と同様に違法である。しかしながら、被控訴人原田はもとより同国光が右行為によつて生徒に対して受験拒否を扇動したものとは必ずしも見られない。

(ホ) 控訴人は、被控訴人多治比及び同原田は、第二時限以降本件学力調査の受験を拒否している生徒を説得するように命令を受けていたのに、その説得をしなかつた旨主張するが、同被控訴人らが当該生徒の説得に当つたことは、前認定のとおりである。

又、報道関係者が生徒の受験拒否行動の取材に集つた際、被控訴人多治比は、生徒に対し、前認定のとおり、「帽子を深くかぶれ。胸の名札をとれ。」などと言つているが、その発言のなされた経緯からみて、これが生徒に受験拒否を扇動するものでないことは明らかである。

更は、控訴人は、被控訴人多治比が第二時限以降生徒に対し、「自分の意思どおりやれ。」と申し向けた旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

(6) 同月二四日の違反行為について

(イ) 被控訴人国光の職場会開催の主張については、前記の(5)の(イ)と同様であつて、同被控訴人が誘導を行つた事実は認められるけれども、これをもつて違法となすことはできない。

(ロ) 又、控訴人は、被控訴人多治比が、同日の職員朝礼において、山本校長に対し、市教委三原主事らが受験拒否生徒の家庭を訪問して正常に受験するように説得した行為を執ように非難し、同主事を同朝礼の場に呼んで事情を聴くことを要求して譲らなかつた旨主張するが、右職員朝礼の情況は前認定のとおりである。

従つて、右職員朝礼での同被控訴人の行為は、前記(5)の(ロ)の場合と同様に職務専念義務に違反するものである。

(ハ) 更は、控訴人は、被控訴人多治比が、第一時限に担任の三年七組の教室において生徒に対し、「学力調査を受けるかどうかは生徒が自分で判断すべきことである。」と発言して受験拒否をそそのかした旨主張する。

<証拠>によると、同日同被控訴人が、「こうなつたら仕様がない。自分の意思どおりやつてくれ。」と言つた事実が認められる。しかしながら、これは、同被控訴人が生徒に対し説得の意思は持ちながらも既に説得不可能と見てあきらめの言葉を出したものと認められ、前掲各証拠によると、客観的に見ても尋常一様の説得では生徒の受験拒否をやめさせることは困難であつたと認められるから、受験拒否をそそのかしたものとは言えない。<証拠判断省略>他に右主張を認めるに足る証拠はない。

三被控訴人五十川に対する処分事由の存否について

(一)  生徒に対する本件学力調査受験拒否の扇動について

(1) <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 本件学力調査の実施された昭和三九年六月二三、二四日の両日、橘町立安下庄中学校では、三年生は本件学力調査を異常なく受験したのに、二年生の中には教室外に出てその受験を拒否したり、白紙答案や無記名答案を提出したりした者があつた。その各学級における受験状況の概要は原判決添付別表第二記載のとおりである。

(ロ) 被控訴人五十川は、昭和三六年以来学力調査の実施に強く反対していたことは前記のとおりであり、殊に、県教組大島支部書記長としてその態度を公然と表明し、保護者らとの懇談会をもつたり、ビラ配付やステツカー張りをするなどして積極的に学力調査反対の活動をして来た。なお、本件学力調査実施当時、安下庄中学校における県教組組合員の教師は、病気休職中の一名を除いて、被控訴人五十川だけであつた。

(ハ) 同被控訴人は、昭和三九年四月から二年五組の学級担任をし、かつ、第二学年の国語の授業を担当していたものであるが、本件学力調査実施前のホームルームや授業時間等において、生徒から学力調査に関する質問を受け、次のとおり答えた。

(a) どういう形式の問題なのかという問に対し、「四つか五つ答が用意されていて、その中の正しいものに丸をつけるんですよ。すべてと言つていいくらいそれですよ。」と、「それじやまぐれで四つか五つに一つ当るではないか。」との問に対し、「それはそのとおりです。」と、更に、「知らんでもどこかへ丸をつけた方が得ですね。」との問に対し、「テストの点数から言えばそういうことになるでしようね。」と答えた。

(b) 学力調査について違法判決が出ているのではないかとの問に対し、「違法の判決も出ているし合法の判決も出ている。しかも、これは最終審ではないので、それでもつて違法だということはできないと思います。しかし、学校というところはみんなのように選挙権のない人達にこつちの思うことを押しつけるところなので、合法の判決も出ているし違法の判決も出てるようなことについては、私はみんなに押しつけるのはどうかと思う。」と答えた。

(c) 成績と関係があるかとの問に対し、「みんなの成績とは関係はありません。ただ、みんなの勉強の結果なんかを書きとめておく指導要録というのがあつて、それに書き込ませるということが未定なんだ。もし書き込ませるということになれば、出てくる数字だからすぐ書き込める。」と、次いで、「それは何にするのか。」との問に対し、「それは例えば君達が高校を受ける場合には、その写しが高校に行くんですよ。」と答えた。

(d) 学力調査の目的は何かという問に対し、文部省のいう教育課程に関する方策の樹立と学習指導の改善に役立てる資料とし、教育条件の整備にも利用するという目的について話をし、そのあとで、自分としては文部省のいうようなことは無理に学力調査をやらないでも分かるように思う旨の意見も話した。

(e) 「このテストに対してどうすれば良いか。」とか、「白紙で出したらどうなるのか。」という質問に対し、「私はそれに答える立場にはありません。」と述べた。

(ニ) 同被控訴人は、教師となつて以来、生徒から提出される日記を通して生徒と教師との対話等をはかるといういわゆる日記指導を採用して来たものであるが、本件学力調査に関して書かれた生徒の日記についても同様に日記指導を行つた。

(ホ) 本件学力調査第一日目第三時限に受験を拒否して運動場に出ていた女子生徒一五名を教員室に集めて川野校長及び佐村教頭が運動場に出た理由を尋ねたところ、その生徒の中には、「学力テストは文部省が無理矢理やらすから。」、「進学や就職に影響するから。」、「テストをやると順番をつけるから。」、「答案を返してもらえないから無意味だ。」、「学力テストではマルバツ式だから学力がよく分からない。」と主張する者があつた。

(ヘ) 同被控訴人は、本件学力調査実施の数日前、担任生徒の中原康江の家庭を訪問し、同人に対し、本件学力調査を受験するように言つた。

以上のとおり認められる。そして、以上の事実を総合すると、同被控訴人は、本件学力調査反対の一方法として、生徒に対し、学力調査の非合理的側面をことさら強調して、暗に本件学力調査の受験を拒否するように働きかけをしたのではないかという疑問も起きないではない。

(2) しかしながら、昭和三六年以来、学力調査に関する問題が書籍や全国紙の論説、記事等として取り上げられて来ており、殊に、本件学力調査の実施が近付いたころに学力調査を違法とする下級審の判決のあつたことや学力調査の弊害を指摘する学力調査学術調査団の調査報告が報道機関によつて報道されたこと、白紙答案等は他の学校でも見られたこと及び日教組、県教組が学力調査反対闘争によつて処分を受けないようにするため、最終的には職務命令に従つて学力調査を実施する、学力調査反対闘争に生徒を巻き込まないとの方針を昭和三七年からとつて来たことは、前認定のとおりである。

更に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 被控訴人五十川は、昭和三六年の学力調査発足以来、学力調査に反対していたためにそのテスト担当者を命ぜられておらず、本件学力調査についても昭和三九年六月一七日ごろ佐村教頭からテスト担当者にしない意向を伝えられ、同被控訴人の了解を求められたので、これを承諾した。しかしながら、同被控訴人は、二年五組の学級担任であるから、川野校長が全校生徒に本件学力調査の実施を告げてその際の注意事項を訓示した同月二二日には、ホームルームにおいて生徒にその趣旨を伝達し、又、本件学力調査実施第一日目の朝のホームルームにおいても、机の配置をこれまでの班ごとの並べ方から試験のときの配列である名簿順の並べ方になおさせ、かつ、担当者の指示に従つて学力調査を受けるように指示した。

(ロ) 本件学力調査の受験を拒否したり、白紙答案を提出したり二年五組の生徒の中には、学力調査の問題について家族の者から話を聞いたり、前記学力調査違法判決や学力調査学術調査団の調査報告の各新聞報道を読んだりして、学力調査を受験することに抵抗感を持ち、同級生あるいは他学級の友人と話合いをしたりした者があつた。殊に被控訴人五十川のクラスでは、本件学力調査の数日前同被控訴人が他学級の授業参観に行つたため自習となつたとき、生徒が学力調査の功罪をめぐつて討議し、これを受験するか否かは各人が決めるべきことであつて、この場でどちらかに意思統一をすべき問題ではないとの結論を出していた。又、本件学力調査実施直前には、他の学級でも生徒から学力調査について担任教師に質問があつた。

(ハ) 本件学力調査第一日目の第三時限に女子生徒が一五名も教室外出て受験を拒否したが、当該拒否生徒は、第三時限開始前の休み時間に受験状況について話をしていたとき、ある生徒が答案用紙に氏名を書かなかつたために担当の教師から殴られたといううわさを聞いて憤りを感じ、もともと学力調査に抵抗感ないし反感を持つていたので、そのまま教室に入らず、第三時限の学力調査の受験を拒否した。

以上のとおり認められる。そして、以上の(1)、(2)の各事実と中学二、三年生の持つ不安定性や感受性の強い特性を併せ考えると、被控訴人五十川の言動が生徒の本件学力調査拒否行動に影響を及ぼした面のあることは否定できないけれども、それ以外にも多くの要因が考えられるのであつて、同被控訴人が、生徒に対し、本件学力調査の違法性を強調し、もしくはその他の方法でその受験拒否を故意に教唆扇動したものと認めることはできないものというべきである。<証拠判断省略>

(二)  事後指導の職務命令違反について

<証拠>によると、次の事実が認められる。

川野校長は、昭和三九年八月二七日、被控訴人五十川に対し、担任の二年五組の生徒が本件学力調査の受験を拒否したことに関し、当該生徒に対して学力調査に反対してとつた行動が誤つていたことを同年九月一日から事後指導するように話した。これに対し、同被控訴人は、生徒の行動が誤りであると決めつけることはできないし、自分自身学力調査を正しくないものと考えたので、同校長の言うことが要望であればそれに従わない旨答えた。そこで、同校長は、同被控訴人に対し、同校長の言うように指導すべき旨の職務命令を出すと告げたところ、同被控訴人は、職務命令であれば従うが、生徒には校長から右命令を受けたことを伝えたうえでこれを実行する旨述べた。しかし、同校長は、そのような前置きをつけるのはかえつて生徒を混乱させるし、教師がその内容を正しいものとして指導するのでなければ真の指導とは言えないから、その前置きを除いて無条件で指導するように命じたところ、同被控訴人は、そのような事後指導はできないとしてこれを拒否した。その結果、川野校長は、同年九月一日付をもつて同被控訴人を二年五組の学級担任からはずすという年度途中の異例な措置を採つた。

以上のとおり認定することができ、右認事実によると、同被控訴人は、生徒の本件学力調査反対の行動が誤りであつたことを昭和三九年九月一日以降生徒に指導すべき旨の職務命令を川野校長から受け、かつ、その実行に際しては、校長から命令を受けたのでその命令に従つて指導を行う旨の前置きをつけないで実行するように命ぜられたが、これを拒否して同校長の命じた内容の事後指導を行わなかつたものというべきである。<証拠判断省略>

同被控訴人は、生徒指導については、校長は教師に行政的指揮命令はなし得ない旨主張する。しかしながら、教師に教授方法の自由が一定の範囲であることは認められるとしても、その自由は、普通教育の水準を保持し、かつ、学校の秩序を維持するために当然ある程度の制約を受けるものと解すべきである。そして、本件学力調査が適法なものである以上、本件学力調査の受験を拒否した生徒に対し、その点の事後指導を行うべき旨を命じた川野校長の職務命令も、もとより適法有効なものというべきである。

(三)  日記指導について

<証拠>によると、次の事実が認められる。

被控訴人五十川は、昭和三八年ころから、担任の組の生徒を数班に分け、生徒自身が班目標を設定し、その目標達成のために班内で相互に助け合い、批判し合つてその全体的向上を図り、教師はこれに指導助言をし、集団を高めることで自分も高まるという内容の集団主義教育を取り入れ、これを実践して来た。又、同被控訴人は、それ以前から、担任の生徒又は以前担任であつた生徒に毎日、日記を書いて提出させ、これに批評又は感想を書いて返す方法を採用し、その目的を国語指導と称していたが、その実質は国語の正確な記述や叙述の指導にあるのではなく、生徒との心の触合いを求め、人生、社会の一般的事象に対する感じ方、考え方そのものを指導することを目的とするもののようである。そして、同被控訴人自身控訴人指摘の極端な革新思想の持主であるか否か断じ難いが、何らかの社会的変革を希求しており、その日記指導においてそのような自分の思考を生徒に顕示したところがあり、特定の政党の支持や階級闘争的思想を植え付けようとしたとまではいえないが、その日記指導は、学校教育法三六条三号の「公正な判断力を養うこと」という中学校教育の目標に反するところがある。<証拠判断省略>

それ故、同被控訴人の日記指導の行為は、教育基本法六条二項(地方公務員法三〇条との関係は、一般法と特別法の関係にあるものと解する。)に違反し、全体の奉仕者としての教員の指導方法として適切を欠くものというべきである。

(四)  事前指導の欠如について

<証拠>によると、同被控訴人は、二年一組の生徒から授業時間中に本件学力調査の受験拒否についての意見を求められたときに、「自分はそれに答える立場にない。」旨応答したことが認められ、この事実に、<証拠>を総合すると、同被控訴人は、生徒の間に本件学力調査受験拒否の動きのあることを事前に知りながら、これに協力したとまではいえないにしても、前認定のとおりわずか一名の女生徒(中原康江)の自宅を訪問して受験するようにすすめたのみで、しかも、右中原康江は保守系の橘町長の子で、その母は同被控訴人の立場から警戒を要する人物であつたのであり、他にこれを阻止すべき何らの適切な処置を講じなかつたことが認められ<証拠判断省略>。そして、橘町教育委員会の本件学力調査を行うべき旨の命令はもとより同被控訴人にも及ぶものであるから、同被控訴人の右事前指導を怠つた行為は、地方教育行政法四三条二項に違反するものである。

四被控訴人久保に対するその他の処分事由の存否について

(一)  同被控訴人が、昭和三八年度に担任した三年六組の生徒の指導要録を昭和三九年三月二六日までに校長に提出しなければならないのに、昭和四〇年三月三日になつてこれを提出したこと及びその指導要録のうち山口県立高等校進学者一九名中一二名のものの記載内容と、同被控訴人が昭和三九年四月に作成して当該各高等学校に送付した指導要録の抄本と称するものの記載内容との間に、原判決添付別表第三記載のとおりの不一致がある事実は、当事者間に争いがない。右事実によると、同被控訴人は、指導要録の作成に関し職務上の義務に違反し、職務を怠つたものというべきである。

(二)  無断欠勤について

(1) 同被控訴人が、昭和三九年七月七日午後、沖縄解放国民大行進に参加するため職場を離れたことについては、当事者間に争いがない。そして、<証拠>によると、次の事実が認められる。

山本一男教頭は、同日午前中、同被控訴人から同日午後組合の執行業務で外出する旨の申出を受け、当時厚南中学校では県教組宇部支部執行委員の教員が組合の執行業務に従事するときは、午後の勤務時間に限り休暇の手続によらないで勤務を離れることを認める取扱いにしていたので、その申出を承認した。しかしながら、同教頭は、同日沖縄解放国民大行進が同校地区を通過することを思い出して、同被控訴人に同行進参加のための外出であることを確かめたうえ、それが後日問題となることを配慮して、右承認を撤回して、休暇願を提出したうえで参加するように要求した。これに対し、同被控訴人は、同行進には県教組宇部支部執行委員として参加するのであるから、休暇願を出す必要はない旨主張して同教頭の要求を拒否し、休暇願を提出せずに右行進に参加し、もつて同教頭の承認のないまま職場を離れた。

以上のとおり認められ、<証拠判断省略>。

ところで、厚南中学校において認められていた右の取扱いの対象となる組合の執行業務とは、それに従事しても休暇の取扱いをしないというものであるから、特段の事情がない限り、組合員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し当該地方公共団体の当局と交渉することに関連のある業務でなければならないものと解するのが相当である。従つて、前記沖縄解放国民大行進に参加することは右にいう組合の執行業務でないことが明らかであるから、結局、同被控訴人は、山本教頭の承認もなく又休暇の手続もとらないで職場を離れたものというべきである。

(2) 同被控訴人は、昭和四〇年一月一三日、木脇校長に対し、同月一四日から同月一七日まで開催された日教組教育研究集会に出席するため、同月一四日及び同月一六日について特別休暇の申請をした。これに対し、同校長は、市教委の方針及び校長会の申合せを理由に右申請を承認せず、年次有給休暇であれば差支えないとしてその手続をとるように求めた。しかるに、同被控訴人は、「あくまでも特別休暇で行く。後の交渉は組合に任せる。」と言つて、同校長の要求する手続をとらないで右集会に参加し、右両日学校に出勤しなかつた。以上の事実については、当事者間に争いがない。

ところで、右事実によると、同被控訴人の申請は、特別休暇承認申請であつて、予備的にせよ年次有給休暇届出の趣旨をも含むものとは解されないところ、木脇校長は、同被控訴人の右申請を拒否したものであり、同被控訴人が前記研究集会参加のため職場を離れたことは違法であるといわなければならない。

同被控訴人は、日教組による教育研究集会参加が出張扱いにされること又は特別休暇によることが慣行となつていた旨主張する。しかしながら、<証拠>を総合すると、過去において右被控訴人久保の主張するような取扱いのなされたことがあるが、それが慣行として公務員たる教職員の勤務関係を規律するまでに至つていたものではないことが認められる。又、同被控訴人は、木脇校長が同被控訴人につき右両日を年次有給休暇扱いとした旨主張するが、<証拠判断省略>他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(3) 同被控訴人が、木脇校長に事前の届出をしないで、昭和四〇年二月三日佐世保市で行われた原子力潜水艦入港反対デモに参加し、同日勤務場所を離れたことは、当事者間に争いがない。

ところで、同被控訴人は、右デモ参加に際しては事前に年次有給休暇の届出をする時間的余裕がなかつたので、村井講師にその旨校長への連絡をしておいてくれるよう依頼しておいたし、事後にその届出をして承認を受けているから無断欠勤ではない旨主張する。しかしながら、<証拠>によると、次の事実が認められる。

被控訴人久保は、昭和四〇年二月二日午前中、数学の問題のプリントを作成していたとき、同僚の村井講師からその問題を使用させて欲しい旨依頼されたので、これを承諾したが、その際同講師に対し、翌三日は佐世保に行くかも知れないから、そのときは生徒に右問題をやらしておいて欲しい旨依頼した。それに対し、村井講師は、補教を付けてもらわないとできない旨答えた。そして、同被控訴人は、同日午後一一時ころ佐世保に向けて出発した。翌三日、木脇校長は、職員朝礼に同被控訴人の姿が見えなかつたので不出勤の連絡の有無を調べたが、その届けを受けた者はいなかつた。そのため、同校長は、同日の同被控訴人の担当教科について補教を割り当てる手当てをした。そして、第二時限になつて、山本教頭は、村井講師から同被控訴人が佐世保に行つたらしいとの報告を受けた。そこで、山本教頭は、翌四日、同被控訴人に対し前日欠勤した理由を尋ねたところ、同被控訴人は、佐世保に行つたこと及び他の教師に話していたから校長や教頭に分かつているものと思つた旨答え、かつ、年次有給休暇願を出すことを約した。しかしながら、右願出の書面は同月一三日になつて提出された。このような経緯から、木脇校長は、年次有給休暇につき従来いわゆる事後承認をする例はあつたが、同被控訴人の場合については事後承認をしなかつた。

以上のとおり認められ、<証拠判断省略>

そして、右認定事実によれば、同被控訴人は、事前に年次有給休暇の届出をする時間的余裕があつたのにその手続をしないで佐世保に行つたものであり、又、これについて事後の承認もないし、かつ、事後承認の認められるやむをえない場合にも該当しないというべきであるから、結局、無断で勤務場所を離れたものというべきである。

第三控訴人が本件処分の決定に当つて考慮した事情について

一被控訴人らに共通する事情

前認定の生徒の本件学力調査拒否の事実関係によれば、控訴人主張の(1)の「教育効果の破壊」の事実を認めることができる。又、<証拠>に前認定の本件学力調査受験拒否の事実を総合すれば、(2)の「本件学力調査の結果利用に対する阻害」の事実を認めることができる。更に、<証拠>によれば、(3)の「世論の動向」が控訴人主張のとおりであることが認められる。

二被控訴人五十川を除くその余の被控訴人らに共通する事情

(一)  山本校長の自殺

厚南中学校長山本章一が昭和三九年九月一日自殺したことは、当事者間に争いがない。そして<証拠>によると、同校長が同校生徒による本件学力調査拒否事件について責任を感じ、かつ、控訴人と被控訴人五十川を除くその余の被控訴人らを含む同校教職員らとの間にあつて板ばさみの状態となり、事態を苦慮する余り自殺するに至つたことが推認される。しかしながら、同校長の死亡の事実は、まことに同情を禁じ得ないことではあるが、それ自体誰しも予想し得ない異常な出来事であり、それを右被控訴人らの行動と結びつけて考慮するのは早計で、それについて被控訴人らを問責すべきものとは考えられないので右自殺の事実をもつて右被控訴人らの懲戒処分決定に当りしんしやくすべき事情となすことは相当でない。

(二)  控訴人は、被控訴人五十川を除くその余の被控訴人らが一連の服務上の義務違反行為をなすに当つて、常に主導的立場に立ち他の組合員を指導した旨主張する。

しかしながら、この点は、本件においては同被控訴人らがどのような義務違反行為を行つたかという問題に還元され、むしろ、同被控訴人らの個々の義務違反行為の態様として認定すべき事柄であるから、このような概括的なやり方で独立の事情として取り上げるのは相当でない。

(三)  控訴人は、被控訴人五十川を除くその余の被控訴人らが、本件学力調査第一日目が終つた後宇部市教委において本件学力調査の中止を求めるのみで、拒否生徒の家庭訪問をするなどして正常に受験させるように適切な手段を講じなかつた旨主張する。

<証拠>によると、成程右被控訴人らが本件学力調査の第一日目が終了した後、同日午後四時半ころから午後一一時ころまで市教委の当局者らと翌日の学力調査の中止を要求して交渉をした事実が認められる。しかしながら、当日学力調査担当者でなかつた被控訴人久保はもとより、被控訴人多治比、同原田及び同国光にしても、同日の学力調査終了後のホームルームの時間において生徒に対し翌日の学力調査を正常に受験するよう命ずべき義務があるのは格別、更に、拒否生徒の家庭訪問までして正常に受験させる手段を講ずべき職務上の義務があるものと解するのは相当でない。従つて、この点も本件懲戒処分に当つて特に考慮すべき事情とはいい難い。

三被控訴人久保、同国光及び同原田に共通する事情

<証拠>によると、厚南中学校においては、教職員は毎日出勤簿に押印すべき制度になつていたのにかかわらず、被控訴人久保は昭和三九年五月中旬以降、同国光は同年一〇月ころ以降いずれも出勤簿に押印せず、又、被控訴人原田も出勤簿の押印状況が不充分であつたことが認められる。

四被控訴人多治比及び同久保に共通する事情

<証拠>によると、右被控訴人両名は、昭和三九年五月六日、宇部市教委から同年二月二七日の定員闘争の統一行動に参加するため無断で職場を離れたことを理由に訓告処分を受けたことが認められる。しかしながら、<証拠>によると、この問題については、山本校長と右被控訴人両名を含む被処分者一同との間に意思の疎通を欠き、右被控訴人らは同校長が同日の有給休暇を了承したものと誤解して定員闘争の統一行動に参加したものであつて、違法であることの認識を欠いていたことが認められる。それ故、この事実も同被控訴人らの懲戒処分を決定するに当つて考慮するのは相当でない。

五被控訴人多治比及び同国光に共通する事情

<証拠>によると、被控訴人多治比及び同国光が、昭和三七年一月一二日付で昭和三六年度全国中学校学力調査のテスト担当の職務命令を拒否し、戒告処分を受けたことが認められる。

右被控訴人らは、その後昭和四一年六月三〇日控訴人との間で、同被控訴人らが右戒告処分を受けたことをもつて同被控訴人らを人事面で不利益に取り扱わない旨の和解が成立した旨主張する。しかしながら、<証拠>によると、右被控訴人ら主張の和解が成立しているが、右和解の効力はもつぱらその時点以後に生ずるものであつて、既往にさかのぼるものではないと認められるから、右和解の合意は、右被控訴人らの本件懲戒処分の適法性、妥当性を考慮するに当つて何ら影響を及ぼさないものである。従つて、控訴人が、右被控訴人らに対する本件懲戒処分の決定に当つて前記戒告処分の存在を考慮したとしても、不当とはいえない。

六被控訴人多治比に関する事情

(一)  <証拠>によると、被控訴人多治比は、昭和三四年一月二四日、昭和三三年九月一五日及び同年一〇月二八日の両日勤務評定反対闘争に参加するため無断で職場を離れたことを理由に訓告処分を受けたことが認められる。

(二)  控訴人の、被控訴人多治比が昭和三六年一一月下旬の生徒朝会において京都市旭ケ丘中学校における学力調査拒否行動を称賛したとの主張については、これを認めるに足る証拠は存しない。

(三)  前認定事実によると、被控訴人多治比の本件学力調査第二日目の職員朝礼における服務上の義務違反行為のため職員朝礼が長びき、生徒が運動場に出るきつかけを与えたことが認められる。

(四)  <証拠>によると、被控訴人多治比が本件学力調査実施後担任の三年七組の生徒に対し、他の中学校の生徒から送られて来た学力調査反対行動を称賛する手紙を読んで聞かせた事実が認められる。

七被控訴人久保に関する事情

(一)  <証拠>によると、同被控訴人は、昭和三八年度全国中学校学力調査において、担任の三年六組の生徒の答案に白紙が非常に多かつたのに、これに対して何ら適切な指導をしなかつた事実が認められ、<証拠判断省略>。

(二)  <証拠>によると、同被控訴人が、昭和三九年四月四日市教委と県教組宇部支部との団体交渉にかなりの酒気を帯びて参加し、当局者に対して非礼なことを怒鳴りちらし退場を命ぜられた事実が認められる。

(三) 控訴人は、同被控訴人が昭和三九年六月二〇日の職員朝礼において山本校長が職務命令書を配付した行為に抗議した事実を、同被控訴人に関する事情として取り上げているが、同被控訴人の右行為は、既に前記第二の二の(三)の(3)の(イ)において、同被控訴人の服務上の義務違反行為として説示したところであるから、重ねて問責するのは相当でない。

八被控訴人国光に関する事情

控訴人は、被控訴人国光が本件学力調査実施直後の昭和三九年六月二七日県教組宇部支部代議員会において、厚南中学校における生徒の受験拒否を学力調査反対闘争の成果として報告した旨主張するが、<証拠判断省略>他にこれを認めるに足る証拠はない。

九被控訴人原田に関する事情

(一)  <証拠>によると、被控訴人原田は、本件学力調査第一日目のテスト開始前の職場会において、「職務命令が出た以上やらないわけにはいかないが、すれすれの線までがんばり、できるだけ開始の時刻を延ばそう。」と提案した事実が認められる。

(二)  又、右職場会終了後の職員朝礼における前記服務上の義務違反行為のため職員朝礼を長びかせ、生徒に対し拒否行為に出るきつかけを与えるに至つたことは、前認定のとおりである。

一〇被控訴人五十川に関する事情

(一)  <証拠>によると、被控訴人五十川は、安下庄中学校長川野九一が各教師の指導の進度を知るために必要であると考えて、昭和三九年度において教案の提出を命じたのにかかわらず、教育の国家統制につながるとして命令を拒否して教案を提出しなかつた事実が認められる。同被控訴人は、教案の提出は義務付けられていない旨主張するが、校長がその教育課程管理上の権限に基づき、教師に対して教案の提出を命ずることは相当であり、教師はこれに従うべきものである。

(二)  <証拠>によると、被控訴人五十川には、その性格よりはむしろ思想信条に由来するものであろうが、上司や同僚に対して反抗的態度をとつたり協調性を欠く言動があつたことが認められる。もとより、思想信条の自由は教職員にも保障されているけれども無制約とは解されないから、思想信条のためとはいえ上司に反抗的態度をとつたり、同僚と協調性を欠いたりしたのでは職場の秩序の保持は困難であるから、この点を同被控訴人の懲戒処分の決定に当つて考慮することは正当である。

第四本件学力調査の適法性について

被控訴人らは、全国中学校学力調査は、教育基本法一〇条一項の禁ずる「不当な支配」に該当する違法なものであつて、生徒には本件学力調査を受験しなければならない義務はないから、本件懲戒処分のうち生徒の学力調査受験拒否を理由とするものは、その基礎を失う旨並びに仮に全国中学校学力調査が適法であるとしても、生徒に不参加の自由が保障されるべきものであるから結局右と同一の結論となる旨主張するので、この点について検討する。

<証拠>によると、本件学力調査は、「義務教育の最終段階である中学校第二学年及び第三学年の全生徒の国語、社会、数学、理科及び英語についての学力の実態をとらえ、教育課程に関する方策の樹立、学習指導の改善に役立てる資料とする。なお、調査の結果は、教育条件の整備にも利用するものとする。」との目的のもとに前記のような方法で行われたものであることが認められる。そして、学校教育行政機関がその職務を行うために生徒の学力の実態をとらえる一手段として学力調査を行うことが有益であり、かつ、必要でもあることは、もとより当然の事柄である。そして、その調査が全国一せいに同一の問題で行われたとしても、それは調査技術上の問題であつて、そのことから直ちに教育統制を企図するものであるということはできない。成程、教育は単なる知識や技術の伝達ではなく、教師と生徒との人格的な触合いを通じて個別的にかつ創造的に行われなければならないものであるから、ある程度の自主性を持つべきものではあるが、その反面、特に公教育においては、その内容において全国的に共通の地盤に立つた画一性を持つものでなくてはならない。又、本件学力調査は教育活動そのものとは言えない。ただ、本件学力調査が授業計画の変更を伴うことは必然的であり、それに関連して、本件学力調査は調査としての性質上通常の試験の場合と異なり生徒の学習効果を全く意図しないものであるから、このような学力調査が一年のうち二日間にわたつて平常の授業を犠牲として行われることは、生徒の学習する権利に影響を与えるものである。更に、<証拠>によると、学力調査が、一部地域で学校間、地域間の成績競争をもたらし、ある程度の弊害を招いている事実も認められる。しかしながら、前記学力調査の有益性及び必要性をもつてすれば、右の諸点を正当化することができないものとは言えない。結論として、本件学力調査は、妥当性の問題は残るとしても、被控訴人主張のように教育基本法一〇条一項にいう教育に対する「不当な支配」に該当する違法なものとは言えない。

又、これまで認定したところによれば、本件学力調査は通常中学校で行われる学期試験と比較して生徒に通常予測されない異常な肉体的精神的負担を課するものとも認められないから、生徒に不参加の自由を保障すべきものとも解されない。

第五本件懲戒処分の適法性について

地方公務員に対する懲戒処分としては、戒告、減給、停職及び免職が規定されており、その種類、程度の決定は処分権者の裁量に任されているが、懲戒処分が、被処分者の当該処分事由たる行為の内容、程度その他諸般の事情を考慮して社会通念上著しく妥当性を欠く場合には、裁量権の範囲を超えたものとして違法となるものと言わなければならない。以下、本件各被控訴人の懲戒処分について検討する。

一被控訴人五十川を除くその余の被控訴人に対する本件懲戒処分について

(一)  右被控訴人らが、生徒の本件学力調査の受験拒否を教唆扇動したものでないことは前認定のとおりである。しかしながら、同被控訴人らの一連の職務上の義務違反行為が、かねて本件学力調査に疑問を抱いていた一部の生徒に受験拒否の直接行動に踏み切る原因を与えたこともまた前認定のとおりである。そして、その結果は、学園に異常な混乱を招き、学校及び教育委員会の関係者に多大の心痛を与え、かつ、生徒の父兄を始め地域住民にも甚大な衝撃を与え、その社会に及ぼした影響は重大であつたといわなければならない。

(二)  しかしながら、このような事態を招いた責任がすべて右被控訴人らにあると速断するのも相当でない。まず、昭和三九年六月二〇日及び同月二二日の両日、漫然右被控訴人らを中心とする組合員らとの団体交渉に応じ、あるいは、さしたる結論の得られそうにもない職員会議を長時間にわたつて継続し、本件学力調査前の二日間にわたつて多数の生徒に終日自習することを余儀なくさせ、更に、本件学力調査当日である同月二三日及び二四日の両日職員朝礼を長びかして学力調査開始時刻を遅延させるに至つた山本校長にも管理者としての決断に欠け、混乱の責任があることを否定し得ない。又、控訴代理人が指摘するように厚南中学校を「組合管理」というべき状態(昭和四八年九月二七日付準備書面三の(二))に置いてなす術のなかつた宇部市教委及び控訴人には責任が果して無かつたであろうか。次に、昭和三六年の闘争以来被控訴人らに同調し協力した厚南中学校の多数教職員(主として組合員)にも相当の責任のあることを指摘してよいであろう。

(三)  被控訴人多治比については、前記認定諸事実に徴し次のとおり認められる。同被控訴人は、厚南中学校組合員中の先輩として重きをなしていたが、本件学力調査当時、同中学校組合幹部の主流は既に同被控訴人より若い年代に属する被控訴人久保、同国光及び同原田らに移り、被控訴人多治比は必ずもこれら三名の者よりも主導的立場で行動したものではなく、又、同月二〇日には欠勤して当日の行動には参加していない。

(四)  被控訴人久保は、同月二二日には欠勤して当日の行動には参加していないが、そのほかの日における義務違反の行動に際してはかなり主導的に行動している。そして、同被控訴人のその余の処分事由と併せ考えると、同被控訴人が組合運動に熱中する余り規則を無視し奔放な行動をとつていたことが看取される。しかしながら、同被控訴人の当時の年令(昭和三九年当時二六才位)に徴すれば、しやく量の余地が全然無い訳ではなく、更に、同被控訴人には、前記昭和三九年五月六日付の訓告処分を除き、これまで処分歴もない。

(五)  以上(一)ないし(四)の諸事実を総合し、かつ、免職処分が被処分者に重大な結果を与えるものであることにかんがみると、被控訴人多治比及び同久保に対する本件免職処分は、控訴人主張の諸事情(当裁判所が考慮するのを相当と認めたものに限る。)を考慮しても余りに過酷に失し、社会通念上著しく妥当性を欠くものと認められ、むしろ相当長期の停職処分をもつて臨むべきものと思料されるから、裁量の範囲を超えたものとして違法というべきである。

(六)  しかしながら、被控訴人国光及び同原田に対する本件停職処分は、同被控訴人らの違法行為の内容、程度及びその他の諸事情を考慮するときは、裁量の範囲を超え取り消さねばならぬ程に重いとはいえない。

二被控訴人五十川に対する本件懲戒処分について

(一)  同被控訴人は、生徒に対し本件学力調査受験拒否を意図的に教唆扇動したものではないが、同被控訴人が生徒に対する事後指導の職務命令を拒否したこと、その日記指導の内容が誤つていたこと及び本件学力調査受験の事前指導を怠つたことは、いずれも前説示のとおりである。それ故、右各事由に、同被控訴人の言動が生徒の受験拒否の一原因をなしたこと、その他前認定の諸事情を考慮すれば、同被控訴人の責任は決して軽しとなし得ない。

(二)  しかしながら、他方、(イ)、安下庄中学校の場合、生徒の受験拒否による混乱も厚南中学校の場合に比較して軽度のものであつたこと、(ロ)日記指導にしても逆に生徒から同被控訴人に対する批判もかなりなされており、実害として見るべきものも表われていないこと、(ハ)、同被控訴人にこれまで懲戒処分歴のないこと、(ニ)、免職処分が被処分者に重大な結果を与えるものであること、の諸点を考慮すれば、同被控訴人に対しても相当長期の停職処分をもつて相当とし、免職処分をもつて臨むことは極めて過酷であつて、裁量の範囲を超えた違法があると言うべきである。

三結局、被控訴人らに対する本件懲戒処分のうち、被控訴人国光及び同原田に対する各停職処分は相当として維持さるべきであるが、被控訴人多治比、同久保及び同五十川に対する各免職処分は違法として取消しを免れない。

第六結論

そうすると、原判決のうち被控訴人多治比、同久保及び同五十川に関する部分は、事実誤認の違法はあるけれども結論において相当であつて、この部分に対する控訴人の控訴は理由がないから棄却すべきである。又、原判決のうち被控訴人国光及び同原田に関する部分は不当であり、この部分に対する控訴人の控訴は理由があるので、原判決のうちこの部分を取り消し、右被控訴人両名の本訴請求をいずれも理由がないものとして棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(熊佐義里 武波保男 白石嘉孝)

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